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映像と音のシンクロに関する小覚書 2/2

■ストローブ&ユイレ

ストローブ&ユイレというのはwikipediaなどで読む限り前衛作家らしく、
きちんと楽しむためにはインテリジェンスな知識を必要としそうなのだけれど、
筆者はそんな知識もなければそもそもストローブ&ユイレという名前自体
最近になってやっと意識するようになった程度の無学者。
(ついでに言っておくと前衛映画は苦手で、基本的に娯楽映画を見てきたタイプです)

まあそんな無学な一アイドルマスターMADファンが見たときに
退屈だったかというとこれがとても面白かった。
映像と音の関係について考えている人なら見て絶対に損しないはずです。

■ストローブ&ユイレ『すべての革命はのるかそるかである』


これはフランスの詩人マラルメの詩篇「骰子一擲」を題材にした映画で、
詩を映像化する、しかもこの作品を映像化するのがどれほどたいそれたことかは
秋山訳が(驚くべきことに!)転載された下のページを見ていただけばわかると思います。

⇒ 詩篇 骰子一擲いかで偶然を破棄すべき
筆者はフランス語わからないので秋山訳の正確性などわかりませんので、
上の動画の動画説明文などご参照ください。
フォントの使い分けはウェブ上では再現していないようです。

この難事業に対するに、ストローブ&ユイレが取る方法は非常に特殊なものです。
フレームはほとんど固定され、登場人物は詩の文句を語る以外に動きはなく、
しかも発音が妙でなまっているらしい。英訳の字幕がぽつぽつと画面の左下に写る。

この登場人物間の距離や、なまりによってそれと示される?文化的位置の距離に
原文の単語同士の距離感が写されて新たな社会的意味合いを持たせたり
してもいるのだろうかと想像したりしますがそんな解釈は手に余る。
ただ、たどたどしい言葉と、堅牢なフレーム、頑固な持続の中でつむがれるカット、
それらが響き合ってとても美しいのです。

映像と、映像上に現れる言葉、それにせりふのリズムの三者が、
互いに主従関係を結ぶことなく距離感を持って提示され、
我々はそれらの間で行きかうそれとない指示・響き合いを感じとることになる。
この自然さこそ、実はシンクロの極点なのではないでしょうか?
そして、それは既にシンクロを超えたところにあるとも言えるのではないでしょうか。

このあたりまで視野に入れたシンクロ論がもし完成するならば、
ダンスPV作品だけでなく、紙芝居作品やNovelsM@ster作品も同様に論じえる
そんな時代が来るのかも知れません。

ストローブ&ユイレには4本の音楽映画があります。
シェーンベルク「映画の一場面のための伴奏音楽」「モーゼとアロン」「今日から明日へ」
それからバッハを題材にした「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」です。
筆者は代表作のひとつ「モーゼとアロン」を見る機会がまだないのですが、
その他の作品を見た限り、溜飲を下げるような、すばらしいものばかりです。
いずれもDVDで入手可能な作品。見る機会がありましたらぜひどうぞ。

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過去の関連記事:
音楽と映像に距離を持たせること 上

目次 - 特集記事2
映像と音のシンクロに関する小覚書 2/2

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